タイルの町多治見市笠原町のモザイクタイルミュージアム

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Lecture2
講演記録2

記者発表会(2014年5月27日 国際デザインセンター)
講演 辻氏

 辻と申します。藤森さんと一緒に仕事をさせていただいていますが、本当に楽しく、ご一緒できることをとてもうれしく思っています。藤森建築にかかわる本を読んだり学んだりしていますが、人間の本質を突いた素晴らしい建築を作られると思っております。
 私は、基本構想とか、基本計画とか、おそらく3年くらい前からお手伝いをしているのですが、藤森さんがこういう設計をなさってから、藤森さんの魅力で十分人が呼べることが分かっていますので、最近は手抜き気味に藤森建築を楽しんでおります。
 今日は、モザイクとかモザイクタイルとはどういうものかという、ちょっと堅い話で、一見真面目そうな話をさせていただきます。
 それは、私がINAXライブミュージアムという新しいミュージアムを作った時、世界的なタイルコレクターである山本正之さんの一言が非常に頭に残っておりまして、そこをめぐって話をさせていただきます。

 山本さんは、「モザイクには美の女神という意味がある」という一行を残されたのです。モザイクと美の女神?これはどういうことかを聞く時間がないまま、亡くなられました。私は山本さんを非常に尊敬していますし、彼の後をたどって、イギリスで同じホテルに泊まったり、彼が歩いた足跡をたどる、そういう形で学んできた師匠に当たるわけです。今回モザイクにかかわる仕事をやるようになって 非常に気になりまして色々調べました。
 モザイクの語源ですが、古代ギリシャは神々の時代でした。ムサ、複数形でムサエという美の女神があります。ラテン語の辞典で調べたのですが、古代ローマの時代になってもムサは継承され、芸術の女神、歌とか詩とか文芸、美術に分化していきます。このムサたちを庇護したのがアポロン神なのですが、この女神ムサがモザイクと関係しているということが分かって驚いたわけです。美の女神ムサの神殿がムサエムで美術館や博物館となり、ムシカが音楽、ムシウムがモザイク画であると辞書に記されています。モザイクと美の女神の関係はこのムシウムのことを指しているのです。

 壁や床に宿る美の女神ムシウス、それがモザイク画だったわけです。作る前のモザイクそのものは、モタイコスというギリシャ語があり、ラテン語ではモサイクスと変わります。イタリア語でモザイコに変わっていく。このモザイクの単品と面としてできた美しい姿が、女神につながっていく、これを見つけた時には、山本さんと新しい会話ができたと喜んだ次第です。
 モザイクに色々な種類があるのはご存知だと思います。石などの小片や小石のモザイクは、古代ギリシャから始まります。いみじくも藤森さんの本を読むと、「ヨーロッパ建築は古代ギリシャから始まる」という有名な文章がありますから、建築の生まれとモザイクの生まれが同じである。建築的な空間に使われたからですね。古代ローマ、さらにビザンチンと、キリスト教世界の素晴らしいムシウム=モザイク空間ができる。
 石の建築のところでは石とガラスを使ったモザイクが発展していくんですね。もうひとつの違う流れとしては、中近東のイスラムの世界ですね。大きな焼成タイルを割って、カットワークモザイクという形で小片を集積して空間構成をするものがあります。

 タイルが発達するのは石が少ない土の文化圏です。粘土を焼いてタイルにするということが発展し、イスラムではさらにカットワーク、小さく割って使っていきます。こちらもすごい空間を作っています。世界の二つの地域、あるいは宗教でモザイク文化が大きく開いていくということになります。
 古代ギリシャよりさらに古い時代のモザイクもあります。一つは古代エジプト、ジェセル王のピラミッドの地下通路に貼られた美しい青いタイル。タイルの始まり、モザイクの始まりと一般には言われています。タイルは青いタイルから始まった、というのは、わたしも大好きなテーマです。太陽神信仰、魂の帰る空の色からきているという説が有力です。さらにもっと古くはメソポタミアで、クレイ・ペグ(釘)というものがありました。多産と豊穣の女神エアンナの神殿で作られたものが、モザイクの原型であるとも言えます。
 ただし、両方ともその後に大きな影響は与えていません。素晴らしいものですが、古代ギリシャのモザイクが、今につながっているのではないかと考えています。

 有名なのが、教科書で見た覚えがあるのですがポンペイの遺跡から発掘されたアレクサンダーとダレイオス3世との戦闘シーン。非常に美しいモザイク画で、大きなニュースになりました。世界で一番有名なモザイクだと思います。
 あとはビザンチンの時代、非常にモザイクが発達しました。モザイク=ビザンチンとの言える時代です。イタリア・ラヴェンナ市内のモザイク装飾(ムシウム)については、ダンテが色彩の交響曲であると文章で書いていますが、それほどに美しい。
 多治見市笠原にミュージアムができるわけですが、この地域のモザイク史について、私なりに大きな4つのムーブメントがあったと考えています。まだまだ開館に向けて研究しなくてはいけないことがたくさんありますが。一つは大正15年(1926)に加藤重保さんが、日本建陶有限会社で無釉のモザイクを始めた。これが最初です。2つ目は、有名な山内逸三さんが施釉磁器モザイクを作るようになった。そのラインというかシステムも開発しまして、施釉モザイクの時代を築いていく、産業基盤を整備していく、それが、山内逸三さんが果たした大きな役割です。
 3番目は戦後になりますが、技術、デザイン、開発、生産規模の高揚期。笠原にも煙突がいっぱいたち、年間400億円位の出荷額と聞いています。想像できないくらいの勢いでモザイクタイルが作られました。

 特にアメリカを中心に輸出がどんどんされて、アメリカを魅惑していきました。結果として、貿易摩擦問題、関税を上げるとか、業界の自主規制とか、経済戦争とも呼べると思いますが、アメリカからの大きなプレッシャーを受けて、それに立ち向かえなくなるという時代に変わっていきました。
 現在問題になっているTTPと同じようなことが発生していたといえます。経済力をつけてきた日本がたたかれた初期の体験といえるのではないかと思います。このモザイクの輸出規制の問題は、今後のためにもしっかりと掘り下げて研究すべき問題であると思います。
 しかし、この技術、デザインによって日本の近代住宅の中に明るい色彩が入ったことで大きく貢献しました。あまり色彩のない日本の住宅に美しく、きれいなカラーを持ち込んだのがモザイクだったのではないでしょうか。このあたりの内容については、まだ研究資料が少ないので、モザイクタイルミュージアムでもっと解明して皆様にお伝えすべきことだと思います。
 昭和42年、カネキ製陶所さんが、外装モザイクタイル45二丁を本格発売されます。輸出が厳しくなる中で内需に転換していくということです。外需から内需、内装から外装への大きな転換を意味します。私自身がタイルの仕事をしているときに、非常にインパクトを受けた転換でした。

 いずれにしましても、さらに40年ほどたちまして、業界の人がこれからどうするのかという問題に直面しているのが現状です。
 ユーザーが納得する、感動するタイルの魅力をどう伝えていくのか、ここがキーポイントと思っています。
 この写真(図1-A,B)はモザイク浪漫館の資料です。よく見ると非常に素晴らしいデザインです。(たとえば2点の比較)2種類の形を使っているのですが、色を少し変えていて並び方を変えているというだけでこれだけ模様が違ってきます。数少ない品種構成でもデザインを変えていくという、こういう知恵が当時の人には色々あったと考えております。
この写真(図2-A,B)は、和風の、織物、着物のような柄は、輸出向けに開発された日本的なテイストの柄です。オリエンタルな雰囲気を一生懸命研究されたと思います。
 あと、タイルの中で変化している窯変調です。これは石やガラスでは絶対にできない、やきものならではの表現だと思っております。
 お風呂や手洗い場にも粋なデザインを施しています。

 実は、モザイクタイルを使って徐々にグラデーションで色を変えていくのは日本人独特で、海外の方は非常におもしろがります。こういうものが、今回の展示の内容になって、もっと研究して面白い見え方にしたいと思います。
 賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという言葉がありますが、モザイクタイル史を謙虚に学び未来につなげていく、ここにミュージアムの使命があります。
 最後に、藤森さんからもお話がありましたが、地域の女性のボランティアグループが、自分たちでこういうもの(タイルのデザイン=図3)を作って、ごみステーションを作っています。大変な手間をかけて地域を美しくしておられます。本当に素晴らしい活動です。まさに美の女神が降り立つ光景のように思います。
 できれば、このミュージアムは、モザイクを通じて地域の人に活力を与え、一緒になって時代を突破する力を結集する。業界を問わず、すべての人が力を出し合って美しく、楽しい、いい町にしていくということがこのモザイクミュージアムの最大の課題だと考えています。
 以上私からの説明とさせていただきます。ありがとうございました。

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